テセウスの船とスペキュラトゥール

東元俊哉さんの漫画『テセウスの船』が、TBS系「日曜劇場」枠で竹内涼真さん主演によりテレビドラマ化されました。

演技派ぞろいのキャスティングで、これから毎週日曜の夜が楽しみです。

ところで、「テセウスの船」って一体何なのでしょう?

ドラマのオープニング・ナレーションにも簡単な説明が挿入されますが、もうちょっとだけ詳しく見ていきます。

テセウスは、ギリシア神話に登場するアテナイの英雄です。

クレタ島の怪物ミノタウロスを倒したことで有名です。

そのクレタ島の戦いのあと、船でアテナイに凱旋したといわれています。

その船が、「テセウスの船」です。

英雄テセウスの船は記念として、その後長い間アテナイにて保存されていました。

ところが、だんだん船の建材は劣化し朽ちていくために、その朽ちた部分を少しずつ新しい建材に置き換えられるようになっていきました。

そしてついには、元の建材は一つもなくなり、全て新しい建材に置き換えられたところで哲学的な問題が発生します。

さて、この船は、元の船と同じ船だと言えるだろうか?

これが、テセウスの船のパラドックス(矛盾、逆説、ジレンマ)と言われるものです。

「元の建材が全部ないんだから違う船だよ」とも言えそうです。

一方で・・・

「テセウスの船として記念に保存されていることには変わらないんだから同じ船だよ」とも言えてしまう。

一体どちらが正しいのか?というパラドックスになっているというわけです。

この問いは、何を『同じ』ととらえるかで答が変わります。要は「同一性」の問題です。

船を構成する要素(材料)などに着目すれば、その船はテセウスの船ではないということになります。

一方で、「記念として保存されている船」という事実に着目すれば、それは紛れもなくテセウスの船です。

日曜劇場『テセウスの船』は、鈴木亮平さん演じる警察官の父親が起こした殺人事件の謎を追う青年・田村心を竹内涼真さんが熱演されています。

家族の運命を変えた警察官の父親が起こした殺人事件の謎を追う青年。心と母親は父親が逮捕されてからずっと、世間から後ろ指をさされ、身を隠すように生きてきた。ある日、心は最愛の妻から「お父さんを信じてみて」と言われ、拘置所にいる父に会おうと決意。しかし、昔の事件現場に向かうと突然の霧に包まれ、過去にタイムスリップしてしまう!

心がタイムスリップしたのは、事件が起こる直前の1989年(平成元年)、事件現場となる雪深い村だった。その村で心が目にしたのは、自分の家族の温かく笑顔あふれる姿。父の事件を阻止すれば、家族の笑顔を守れる! 心は事件によって失われた家族の笑顔を取り戻すため、「過去を変える」というタブーに挑む決意をする。 時代を超えて繋がる家族の絆が生み出す奇跡の物語。

日曜劇場「テセウスの船」TBS公式サイト番組案内より

主人公は、「過去を変える」というタブーに挑んでいくわけですが、果たして、『過去を変えても、未来の家族は同じと言えるのか?』

過去を構成する要素を別のものに入れ替えてなお、未来の家族は真の家族と言えるのか?というタイム・パラドックスです。

これが、ドラマの中核的なテーマとなっています。この難しい課題に果敢に挑んでいく主人公の姿とその結末がドラマ最大の見所となるでしょう。

テセウスの船のパラドックスは、様々な領域で議論されています。

たとえば、医学です。人間は約60兆個の細胞で構成されていると言われますが、その一つ一つの細胞が呼吸をしエネルギーを消費し身体に必要なものを作り出す活動をしているそうです。一つ一つの細胞自体が生きているということですね。

生きている細胞も古くなれば死にます。でも人間は生きています。凄まじいスピードで身体の中の古い細胞を捨て去り、それ以上の猛烈なスピードで新しい細胞を作り出しては置き換えて、常に新鮮な細胞を維持しているからです。

今日の医学の常識ではすべての細胞が入れ替わるわけではないようなのですが、それでも主要な細胞はごく短期間のうちにアップデートされます。

では、今生きている私と一年前の私と三十年前の私は違う私なのでしょうか?

違うというなら、それは細胞レベルの話です。

結局、同じ私であることに変わりはないでしょう。

たとえ人間の肉体を維持する主たる構成要素が(ほとんど)入れ替わったとしても、「テセウスの船」に意識を傾ける人などほとんどいないでしょう。

それでも、もし、テセウスの船のパラドックスに自覚的になれるとしたら、それは、『思考』がアップデートされたときではないでしょうか?

ランチェからスペキュラトゥールに切り替わったとたん、以前の自分は存在しないことにも気づくでしょう(※ランチェとスペキュラトゥールの違いはこちら→)。

同じ事物(モノ、コト、ヒト)を観察しても、まるで見え方が異なるのだから当然です。

ドラマ『テセウスの船』の主人公・田村心は30年前にタイムスリップし、タイム・パラドックスを背負う運命を選択しました。

私の思考が“ランチェ”に支配されていたのも、ちょうど30年前です。

当時の私を知る学生時代の友人から見ると、それこそ今の私は別人に映るようです。

もちろん、思考の主たる構成要素を入れ替えておいて良かったと思っています。今のところは。

ランチェからスペキュラトゥールに意識と行動を切り替えてみたところで、たとえ傍目からは別人格に見えるようになっても、私が私であることには変わりありません。

パラドックスに自覚的になる瞬間はあれど、そこに不都合を感じることもありません。

なので、私の中に『テセウスの船』のパラドックスは既に存在しません。

あなたはどうでしょう?

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